fc2ブログ

神島日記~帰参の段~

オンライン大三千世界(FF14と信on)と現実の世界を飛び回るブログです。FF14と信on両方の人とお友達になれたらと思います。

旅の終わりと謝辞


こうして私の2度目の旅は終わりを迎えました。
この旅で得た経験も、知識も、感じた物も、全て大切な私の人生の宝物です。
出来ないと思っていた事を、自分の今持っている物を駆使してなんとか叶えたその経験は
大げさでは無く私の人生を変えてくれました。

その変化は全部良い方向にとは言えないですが、それでも以前の私の生き方より何倍も好きです。
昨今、いえ古来からジャンヌ・ダルクのイメージとして多いものに『現実を見ない幸運な夢想家』というイメージです。
でも私が見て来たジャンヌは『理想と現実の両方を見て、そこから逃げなかった女性』です。
ジャンヌは夢想から悲劇を避けられなかったのではありません。ただ望まない現実という壁を相手に戦っただけです。
私も、そうありたいと思います。

最後に、個人的な事ではありますが感謝の言葉を記させて頂きたいと思います。

不正確で、稚拙な文章ではありますが、この旅行記は
この寂れてしまったブログをまだ見にきて下さった顔も知らないどなたかと
私の我儘な旅を支えて後押ししてくれた大事な家族と
私の旅を導いて下さった「ジャンヌを旅する」の作者、三木宮彦先生と
私に文章を書く楽しさを教えてくれ、「面白いですよ」と励ましてくれたマイディーさんに捧げます。

願わくば、この方々のように
いつか、冒険をするのを躊躇いながらこのページに紛れ込んだ誰かの背中を
私の足跡がちょっとでも後押し出来たら

私は最高に幸せです。
2018秋のドンレミ7


<<まとめページにもどります。>>


スポンサーサイト



王都パリをその足で感じる日。パリ城壁巡り2~続・ジャンヌを巡る旅6日目・5~

私の、ジャンヌ・ダルクを巡る一日も最後の時間が差し迫ってきました。
突風が吹き、容赦無く私の体力が奪われていきます。
まだまだ暖かいだろうと甘くみていた私が愚かでした。

これは全部歩くのは難しいかな?と思い出した頃に新しい建造物が見えてきました。地図上の位置はこの辺りです。
2018パリルート5

ここは城壁の北東の隅にあたる場所で、レピュブリック広場という場所です。
別名、というべきか別訳で「共和国広場」と訳されることもあります。
ここの中央には大きな女性の像が建っています。
レピュブリック広場

この女性はマリアンヌという自由の女神です。
フランス共和国の擬人化した象徴であり、共和制、自由の象徴としてフランス国民に親しまれています。
名前は知らなくても、この絵画をご存知の方も多いのではないでしょうか?
この女性もマリアンヌです。

Eugène Delacroix - La liberté guidant le peuple.jpg
この女性は何故か日本の人は「ジャンヌ・ダルク」と間違える人が多いようです。
多分旗を持って先頭に立っているからだと思うのですが、これはフランス革命時の絵画です。
ジャンヌ・ダルクはフランス王を守る側で、この女性は王政を倒す側ですから全く逆とも言えると思います。

その広場からどんどんと南下していきます。
この道沿いも城壁だったはずでした。
2018パリルート6

予想以上に大きく、歩く足も重たくなってきました。
流石は王都です。
こんな巨大な都市を攻撃するにあたって、シャルル7世は一日しか戦闘の時間をジャンヌに許しませんでした。
やはり最初からパリを落とすつもりは無かったのでしょうね。

そしてここにあるのが有名なバスティーユ監獄があった場所、現在のバスティーユ広場です。
バスティーユ
15世紀頃、ここは南北に走る城壁が走っていて東の城門を守るバスティーユ城塞がありました。
後に城壁が撤去される際に、そのバスティーユ城塞は牢獄へと転用されたようです。
そこに重大な政治犯が投獄されるようになり、1789年にこの監獄が襲撃されフランス革命の引き金になりました。
革命後、1806年に牢獄は解体されて写真の記念碑が建つバスティーユ広場となっています。

ここで少し方角を間違えてしまいました。
流石パリの街です。道を間違っても何やら古そうな建造物が目に入ります。
2018パリlafontaine trogneux
最初見た時にはこれが何なのかよく解らなかったのですが、後から調べて解りました。
これはフォンテーヌ・ド・シャロンヌという噴水です。
一番下のライオンの部分から水か出ます。
18世紀に建てられた後一度破損して、かのナポレオンの指示で再建されたそうです。
これだけ大きな都市だと水事情も複雑なのでしょうね。

間違いに気づいた後、元のルートに戻って城壁を辿り続けます。
今度はバスティーユ広場から西に向かっていきます。
この後セーヌ川沿いに西に向かえば最初のエリアに戻ってくるはずです。
2018パリ寒い日
写真は少し寄り道したヴォージュ広場です。
1612年に完成した赤レンガ作りで囲まれた広場です。
革命前には「王の広場」と呼ばれて貴族達の社交の場となったとか。
今はこの広場の周りの回廊に沢山の骨董品、美術品、雑貨やレストランが並んでいました。
暖かい日であればもう少し寄ってみたい場所です。

広場を出て西に歩くとやがてセーヌ川に出ました。
2018パリルート8
この辺りがセーヌ川に面した城壁の南端部になります。
残念ながら写真がちゃんと撮れていませんでした
この辺りになると寒さと疲れで私も色々と弱ってしまっていたようです。
代わりに便利なグーグルマップから持ってきました・・・
2018パリル-ト7
この右側の石壁辺りが城壁のあった所です。
そんな記録は見つかりませんでしたが、もしかしたら石材等、一部転用されているかもしれません。
・・・全く使わないという理由もないと思うんですよね。如何でしょう?

ここの城壁は内側にもう一層あります。
いわゆる、城壁の中の城壁です。
実はその城壁、「フィリップ・オーギュストの城壁」という名前なのですが、今も一部現存しています。
残念ながらそこに辿り着いたころには辺りは真っ暗になっていました。
なので先程同様グーグルマップの写真です。
2018パリ城壁の一部
今は高校の一部となっているようです。
高校に通いながら、こんな貴重な歴史遺産に毎日触れ合えるなんて羨ましい高校生活です。

こうして、現存する当時の城壁を見届けた後、セーヌ川沿いに歩く事で私は最初の地点に辿り着きました。
1118.jpg
これでセーヌ川以北の城壁のあった場所をを一巡りした事になります。

きっと、ジャンヌもここにあった城壁をじっと眺めて、どうしたら中に入れるか思案していた事でしょう。
私は、その約600年後の同じ場所に立っているのです。
こうして歩いてみると、前回も書き記したように王都パリの巨大さがよく解ります。
この規模の城塞を1日で陥落させるのはやる前から不可能だと解っていたはずです。
シャルル7世は王都パリを武力で陥落させるつもりは無かったのでしょう。
ブルゴーニュ派との和解をすることでフランスを急速にひとつにまとめ、国家として統一したい狙いがあったのだと思います。
で、あれば何故そもそも戦ったのか?
やはり武力で奪還したい派閥(ジャンヌを含む)がいて、その一派にも何らかの譲歩をする必要があったのでしょうか。
このあたりの温度差が後の悲劇に繋がった可能性は大いにありますね。

さて、実は城壁はセーヌ川を挟んで南側もあります。
一応南部分も回ったのですが、時間と体力と相談して自転車を借りて回りました。
パリにはこういったレンタル自転車が街のあちこちにあって、旅行者でもそれを借りて街を散策する事が出来ます。
2018パリレンタル自転車
でも、慣れていないと案外怖いのですが、気軽にスピードアップできるのは大変便利です。

他にもルートを外れて見た物が沢山あります。
以下にちょっとご紹介いたします。

歩き疲れ、寒さに凍えた私が避難したカフェで飲んだホットワインです。
甘くて体がとても暖まり、元気が出ました。
Vin Chaud(ヴァン・ショー)と言う名前なのだそうです。
2018パリホットワイン

街で見かけたパリで開催される日本の風呂敷の展示会ポスターのようです。
風呂敷の展示会ポスター
異国で紹介されているのを見るとなんだか嬉しいですね。
どんな展示会だったのでしょうか?

最後にご紹介しますのは、皆さんご存知のこの5人組です^^
2018セーラームーンパリ
見かけた時は、とてもびっくりしました。
しかもライブが開催されるなんて。
私の好きな国が、私の国の文化を好きでいてくれる事が嬉しくてたまりません。

歴史を追いかけた旅でしたが、最後にパリを自分の足で追いかけた事で歴史とは違う魅力にも気づくことが出来ました。


<<まとめページにもどります。>>


そもそも何故わざわざ歩くのか。パリ城壁巡り1~続・ジャンヌを巡る旅6日目・4~


お昼ご飯のジャンヌが負傷したラーメン屋さん(大きく間違った情報ですね^^)から、パリの城壁一周の旅に出ます。
何故わざわざ歩くのか、と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。
パリの大きさは地図を見ればおおよそ測れます。
グーグルマップを利用すれば、歩いているような景色まで見る事ができます。

でも、私はそれらを五感で実感したいのです。

私は「ジャンヌ・ダルクはパリを何年何月に攻めた。しかし落とせなかった。」という歴史書にあるような文章を理解したい訳ではないのです。
ジャンヌがどの位の場所を、どんな起伏を、どんな風を感じながら、走り、叫び、一生懸命生きたのか?
そういう具体的なイメージを想像したいのです。
私にとって、ジャンヌが実際に立った土地を踏むというのはそんな意義があります。

スタートはルーブル美術館の有名なピラミッドです。
2018パリピラミッド広場
本当はちょっと入りたいなと思っていたのですが、流石はルーブル。
大変な行列が出来ていて断念しました。
確か中には当時の城壁が残されているはずなのですが、行列に時間を使いすぎては本命が味わえません。

そこから古地図と今の地図を照らし合わせながら道路上を北上します。
2018パリルート1
この私の歩いている道路上にかつて城壁があったはずです。
英仏百年戦争に対応すべく、シャルル5世(在位1364~80年)からルイ13世(在位1610~1643年)までの間に作成された城壁です。
その後、大砲が登場して戦場に変化が産まれると、ルイ14世(在位1643~1715年)時代に多角形型の城壁へと増設工事が成されます。最終的にパリの城壁は1670年、ルイ14世自身の手により完全に撤去されます。

歩いていると、パリのノートルダム教会が見えてきました。
2018パリノートルダム寺院
ノートルダムと言っても、以前火災の被害に逢ったシテ島の大聖堂ではありません。
1740年に完成した歴史ある教会です。
パリの城壁が撤去した後の跡地に建てられたものになります。
この後実感することになりますが、このパリ城壁沿いには大きな歴史的建造物が沢山あります。
予想外に見ごたえのあるお散歩の、これが最初のひとつとなります。

その後、北上を続けると大きな門が見えてきました。
2018パリルート2

これはサン・ドニ門です。
2018パリサンドニ門3

門と言っても城壁にあった門が残っている訳ではありません。
城壁を撤去した際に記念碑として建造された物です。
成り立ちとしては有名な凱旋門と一緒ですね。
パリにはいくつかの凱旋門がありますが、これはそのうちで最も古いものになります。

此処が城壁の北端になります。
そこから東に方向転換して少し歩くともう一つ門が見えてきます。
2018パリルート3

これはサン・マルタン門という門です。
2018パリサンマルタン門2

サン・ドニ門と同様に城壁の撤去時に作られた記念の建造物です。
見上げながら実感します。今までの建造物はそれぞれ近い時期に作られ始めたはずです。
記念にこんな巨大な門や教会をいくつも建造するとは、ルイ14世時代当時の勢いが伺えます。
このサン・マルタン門が城壁の北東の端になるはずです。

それにしても・・・・
とてもとても寒いです。
10月のパリを甘く見ていました。
他の日は汗をかく位の気温だったのですが、その日のパリは強くて冷たい風がずっと吹いていました。
朝から歩き通しの私の体力を奪っていきます。

ルートの半ばと言った所で、私の体力は底をつきかけていました。
ちょっとリタイアを考え始めた所でいったん区切りとさせて頂きます。

一日無駄にするつもりで始めたお散歩ですが、予想以上に見ごたえがありました。
パリ観光のひとつのプランとしてお勧めですよ^^

<<まとめページにもどります。>>