【川中島の合戦】シブサワ・コウ35周年記念キャンペーン?【タイトルも真似させて頂きました^^】
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今日、信Onおしゃれ呉服店さんにお邪魔してみると、なんともびっくりなニュースが掲載されていました。
なんでも、今週16日から「シブサワ・コウ35周年記念キャンペーン」というイベントが開催されるのだそうです。
しかも、その第一弾イベントが川中島の合戦をテーマにしたものなのだそうです。
【第一弾】シブサワ・コウ35周年記念キャンペーン【川中島の合戦】
↑おしゃれ店長さんのブログにリンクさせて頂きました^^
さすがはおしゃれ店長です。
素晴らしい情報網をお持ちです。
いったいどこでそのような情報を入手したのでしょう?
遅ればせながら、私もその流れに便乗して川中島の記事をひとつ書いてみましょう。
とはいっても、残念ながらゲーム内の川中島の画像はありません。
ここは、現実の川中島古戦場の今の姿をご紹介いたします。
ついでににタイトルも真似をさせて頂きましょう。
便乗をするならとことんしなくては。
おしゃれ店長さん、ごめんなさい^^
川中島古戦場跡は、現在の長野県にあります。

勿論大変広い範囲で交戦していました。
今回ご紹介する川中島古戦場八幡社は、合戦場の武田家側本陣付近に位置する場所です。

神社の敷地内には、解りやすい川中島の両陣営の陣構えの解説図まで用意されていました。

ここで、両軍は知略の限りを尽くして第四回川中島を戦ったのです。
ところで、この時、謙信公が使ったとされる車係について皆さんはご存知でしょうか?
上杉家の合戦では決して外せない名前ですが、その実態を詳しくご存知の方は少ないのではないでしょうか?
今回、上杉家の歴史や、その戦術を研究してらっしゃる乃至政彦先生に、その戦術について説明しているページへのリンクを快く承諾して頂きましたので、ご紹介させていただきます。
どうもありがとうございました^^
<<車懸かりは陣形かそれとも戦術か?>>
↑乃至政彦先生のページに飛びます。他にも歴史好きの方には興味深い記事が沢山あります。よろしければ、ご覧になってください^^
さて、川中島古戦場八幡社の敷地内には、川中島の合戦にまつわる史跡や碑文がいくつもあります。
これは、執念の石、と呼ばれるものです。

近くにあった碑文には、こんな説明文がありました。
武田・上杉両軍三万余の死闘を展開した川中島合戦の最中、作戦の失敗から緒戦の劣勢を余儀なくされ、身辺が手薄となった武田信玄めがけて切り込む上杉謙信の鋭い切っ先に、あわや信玄も八幡原の露と消えようとした間一髪、武田軍の中間頭原大隅が、傍にあった信玄の持槍、青貝の長柄を取って馬上の謙信をめがけて、ひと槍突きだした。
苛立った槍は鎧の肩の上にそれ、残念なりと返す槍で謙信の鎧の肩を斜右上から力いっぱい打下したが、またも外れて馬の三頭(さんず)をしたたか打ったので、馬は驚き跳ね上ってその場を狂奔し去ったため、信玄は危く虎口を免れることができた。
一方謙信を取り逃がし、無念やるかたない原大隅は、傍にあったこの石を槍で突き通したといわれる。
槍で一突き?
後ろから見るとこうなっています。

確かに穴が開いています。
・・・強すぎませんか?
原大隅という方は、原大隅守虎胤(はらおおすみのかみとらたね)。ゲームの中では武田家中陣武将、原虎胤(はらとらたね)として登場します。
こんな攻撃を受けたら、神職ではとても耐えきれなさそうです^^
他にも、有名な三太刀七太刀之跡の碑もここにあります。

謙信・信玄一騎討ちの場所とされています。
なんでも、謙信公が三回切りつた所、信玄公の軍配には七つの太刀傷がついたのだそうです。
流石は我が殿です。
でも、川中島といえば、やっぱりこの像ですよね。

もちろん実際の合戦は血なまぐさい、悲惨なものですが、それでもこれだけ語り継がれる名勝負が繰り広げられたこの場所は、特別な場所だと思います。
私の旅の相棒に、二人を仲裁して貰いました^^

二人は、何度も合戦で相対しながら、それでもどこかお互いを信頼しあっていたと伝え聞きます。
もしかしたら、この場所で、昔話でもしながら歴史の面影を探しに来ている人たちを眺めているかもしれませんね^^
追伸です。御朱印集めをされている方がいらっしゃれば、ここでも頂けますので、是非足をお運びください。
歴史が好きな方には最高の思い出になると思います。

↓川中島のイベント、どんなものでしょうね?とても楽しみです^^
私は、好きなものから色々と興味を派生させていくのが大好きです。
ゲームから歴史を好きになっても、その逆があっても全然いいと思います^^
よかったら、クリック頂けるととても嬉しいです。
よろしくお願いいたします。


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なんでも、今週16日から「シブサワ・コウ35周年記念キャンペーン」というイベントが開催されるのだそうです。
しかも、その第一弾イベントが川中島の合戦をテーマにしたものなのだそうです。
【第一弾】シブサワ・コウ35周年記念キャンペーン【川中島の合戦】
↑おしゃれ店長さんのブログにリンクさせて頂きました^^
さすがはおしゃれ店長です。
素晴らしい情報網をお持ちです。
いったいどこでそのような情報を入手したのでしょう?
遅ればせながら、私もその流れに便乗して川中島の記事をひとつ書いてみましょう。
とはいっても、残念ながらゲーム内の川中島の画像はありません。
ここは、現実の川中島古戦場の今の姿をご紹介いたします。
ついでににタイトルも真似をさせて頂きましょう。
便乗をするならとことんしなくては。
おしゃれ店長さん、ごめんなさい^^
川中島古戦場跡は、現在の長野県にあります。

勿論大変広い範囲で交戦していました。
今回ご紹介する川中島古戦場八幡社は、合戦場の武田家側本陣付近に位置する場所です。

神社の敷地内には、解りやすい川中島の両陣営の陣構えの解説図まで用意されていました。

ここで、両軍は知略の限りを尽くして第四回川中島を戦ったのです。
ところで、この時、謙信公が使ったとされる車係について皆さんはご存知でしょうか?
上杉家の合戦では決して外せない名前ですが、その実態を詳しくご存知の方は少ないのではないでしょうか?
今回、上杉家の歴史や、その戦術を研究してらっしゃる乃至政彦先生に、その戦術について説明しているページへのリンクを快く承諾して頂きましたので、ご紹介させていただきます。
どうもありがとうございました^^
<<車懸かりは陣形かそれとも戦術か?>>
↑乃至政彦先生のページに飛びます。他にも歴史好きの方には興味深い記事が沢山あります。よろしければ、ご覧になってください^^
さて、川中島古戦場八幡社の敷地内には、川中島の合戦にまつわる史跡や碑文がいくつもあります。
これは、執念の石、と呼ばれるものです。

近くにあった碑文には、こんな説明文がありました。
武田・上杉両軍三万余の死闘を展開した川中島合戦の最中、作戦の失敗から緒戦の劣勢を余儀なくされ、身辺が手薄となった武田信玄めがけて切り込む上杉謙信の鋭い切っ先に、あわや信玄も八幡原の露と消えようとした間一髪、武田軍の中間頭原大隅が、傍にあった信玄の持槍、青貝の長柄を取って馬上の謙信をめがけて、ひと槍突きだした。
苛立った槍は鎧の肩の上にそれ、残念なりと返す槍で謙信の鎧の肩を斜右上から力いっぱい打下したが、またも外れて馬の三頭(さんず)をしたたか打ったので、馬は驚き跳ね上ってその場を狂奔し去ったため、信玄は危く虎口を免れることができた。
一方謙信を取り逃がし、無念やるかたない原大隅は、傍にあったこの石を槍で突き通したといわれる。
槍で一突き?
後ろから見るとこうなっています。

確かに穴が開いています。
・・・強すぎませんか?
原大隅という方は、原大隅守虎胤(はらおおすみのかみとらたね)。ゲームの中では武田家中陣武将、原虎胤(はらとらたね)として登場します。
こんな攻撃を受けたら、神職ではとても耐えきれなさそうです^^
他にも、有名な三太刀七太刀之跡の碑もここにあります。

謙信・信玄一騎討ちの場所とされています。
なんでも、謙信公が三回切りつた所、信玄公の軍配には七つの太刀傷がついたのだそうです。
流石は我が殿です。
でも、川中島といえば、やっぱりこの像ですよね。

もちろん実際の合戦は血なまぐさい、悲惨なものですが、それでもこれだけ語り継がれる名勝負が繰り広げられたこの場所は、特別な場所だと思います。
私の旅の相棒に、二人を仲裁して貰いました^^

二人は、何度も合戦で相対しながら、それでもどこかお互いを信頼しあっていたと伝え聞きます。
もしかしたら、この場所で、昔話でもしながら歴史の面影を探しに来ている人たちを眺めているかもしれませんね^^
追伸です。御朱印集めをされている方がいらっしゃれば、ここでも頂けますので、是非足をお運びください。
歴史が好きな方には最高の思い出になると思います。

↓川中島のイベント、どんなものでしょうね?とても楽しみです^^
私は、好きなものから色々と興味を派生させていくのが大好きです。
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