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ウジェーヌ・グラッセのジャンヌと焼け焦げた小さな遺骨~続・ジャンヌを巡る旅・2日目~

シノン城の中央部、「ミリューの城」と呼ばれる区域は博物館になっています。
2018シノンのミリューの城
そこには、シノン城が管理する歴史的な遺物が展示されています。
ここが結構、他の博物館と比べても異色のレパートリーになっていて興味深いのでご紹介いたします。

ミリューの城内はある程度復元されていて、自由に見て回る事ができます。
これは王族の方のベットでしょうか?
2018シノン王族のベッド

その中でもジャンヌ関連の展示物は中々見ごたえがあります。
私がいった時はちょっと薄暗かったのでちゃんと撮れなかったのですが、中でも写りがマシな物を何点かご紹介いたします。

ジャンヌをモチーフにしたお皿です。
2018シノンお皿

啓示の声を聞くジャンヌ像です。
同じデザインの像を持っています^^
2018シノンジャンヌ像映りがいまいち

うーん、博物館のポスターでしょうか?
2018シノンポスター
彼女は近代に入って戦意高揚等にも利用されています。
第一次世界大戦時の募兵用のポスターなんていうのもありました。

そしてこれがとてもお気に入りです。
ウジェーヌ・グラッセという画家さんが書いた、フランスの大女優サラ・ベルナールが演じたジャンヌ・ダルクのポスターです。
2018シノンポスター2
なんとなくミュシャっぽいと思いませんでしたか?
私は思いました^^
後で調べると、ミュシャと同時期ちょっと前の画家さんで「アールヌーヴォーの先駆け」と呼ばれている方のようです。
部屋に飾ってみたい一枚です。

これはジャンヌの裁判記録のレプリカでしようか?
2018シノン裁判記録?
復権裁判の方かな、と思うのですが自信がありません。
解る方、いらっしゃいませんか?

さて、ここからの写真はちょっと刺激的です。
なにせ、近代までジャンヌの遺骨と語り継がれてきた物の写真だからです。
あまり映りはよくありませんが、大丈夫な方はお先にお進みください・・・

ジャンヌは1431年5月30日に火刑に処されます。
フランスの為に戦い、フランス人に捕らえられ、フランス人に裁かれたジャンヌの一生は、やはり想像すると悲しい気持ちになります。
ジャンヌは、当時すでに聖女としての名声を持ちつつありました。
処刑された都市、ルーアンでもそのような声はあったようです。

ブルゴーニュ派やイギリスにとっては彼女の死後にも注意を払わなければなりませんでした。
彼女の遺体の一部が残れば、それは聖遺物となり、戦意向上の原動力となってしまうかもしれません。
彼女の遺体は、残らず集められセーヌ川に流されたと聞いています。
後には何も残されていません。ですので遺体の入ったお墓もありません。

そういった歴史だったのですが、1867年にパリの薬局で「ジャンヌ・ダルクの火刑跡から採取された」という説明書きがある瓶が発見されました。
それがシノン城で展示されているこちらです。
2018シノン偽遺骨2

その真偽の程は長く解りませんでした。
それを判断するには、様々な調査方法の発展を待たなくてはいけませんでした。
それが判明したのは、なんと2006年。結構最近のお話です。

様々な分析の結果、この小瓶の中身はジャンヌの物ではありませんでした。
なんとその正体は紀元前6世紀から紀元前3世紀のエジプトのミイラだったのです。

中世では、ミイラはお薬の原料(!)ともされていたそうです。
1867年というと、ナポレン以後、ジャンヌとナショナリズムが結び付けられ、ジャンヌの人気が高くなっていった頃です。
きっとお金目当てか話題作りに偽造されたものだと思います。
それがどういった経緯か、このシノン城の展示室に辿り着いているという訳です。

ジャンヌは死後も沢山の人に愛されると共に利用されてきました。
でもそれは、それだけその生き方が多くの人を惹きつけた証でもあると思っています。
彼女はきっと、そんな未来の名声など考えず、ただただ目の前の「やるべきだと思った事」にがむしゃらに取り組んだ結果の人生だったのだと思います。
私は、そんな生き方の彼女をちょっと悲しく、それでも尊いと感じます。

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