そもそも何故わざわざ歩くのか。パリ城壁巡り1~続・ジャンヌを巡る旅6日目・4~
お昼ご飯のジャンヌが負傷したラーメン屋さん(大きく間違った情報ですね^^)から、パリの城壁一周の旅に出ます。
何故わざわざ歩くのか、と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。
パリの大きさは地図を見ればおおよそ測れます。
グーグルマップを利用すれば、歩いているような景色まで見る事ができます。
でも、私はそれらを五感で実感したいのです。
私は「ジャンヌ・ダルクはパリを何年何月に攻めた。しかし落とせなかった。」という歴史書にあるような文章を理解したい訳ではないのです。
ジャンヌがどの位の場所を、どんな起伏を、どんな風を感じながら、走り、叫び、一生懸命生きたのか?
そういう具体的なイメージを想像したいのです。
私にとって、ジャンヌが実際に立った土地を踏むというのはそんな意義があります。
スタートはルーブル美術館の有名なピラミッドです。

本当はちょっと入りたいなと思っていたのですが、流石はルーブル。
大変な行列が出来ていて断念しました。
確か中には当時の城壁が残されているはずなのですが、行列に時間を使いすぎては本命が味わえません。
そこから古地図と今の地図を照らし合わせながら道路上を北上します。

この私の歩いている道路上にかつて城壁があったはずです。
英仏百年戦争に対応すべく、シャルル5世(在位1364~80年)からルイ13世(在位1610~1643年)までの間に作成された城壁です。
その後、大砲が登場して戦場に変化が産まれると、ルイ14世(在位1643~1715年)時代に多角形型の城壁へと増設工事が成されます。最終的にパリの城壁は1670年、ルイ14世自身の手により完全に撤去されます。
歩いていると、パリのノートルダム教会が見えてきました。

ノートルダムと言っても、以前火災の被害に逢ったシテ島の大聖堂ではありません。
1740年に完成した歴史ある教会です。
パリの城壁が撤去した後の跡地に建てられたものになります。
この後実感することになりますが、このパリ城壁沿いには大きな歴史的建造物が沢山あります。
予想外に見ごたえのあるお散歩の、これが最初のひとつとなります。
その後、北上を続けると大きな門が見えてきました。

これはサン・ドニ門です。

門と言っても城壁にあった門が残っている訳ではありません。
城壁を撤去した際に記念碑として建造された物です。
成り立ちとしては有名な凱旋門と一緒ですね。
パリにはいくつかの凱旋門がありますが、これはそのうちで最も古いものになります。
此処が城壁の北端になります。
そこから東に方向転換して少し歩くともう一つ門が見えてきます。

これはサン・マルタン門という門です。

サン・ドニ門と同様に城壁の撤去時に作られた記念の建造物です。
見上げながら実感します。今までの建造物はそれぞれ近い時期に作られ始めたはずです。
記念にこんな巨大な門や教会をいくつも建造するとは、ルイ14世時代当時の勢いが伺えます。
このサン・マルタン門が城壁の北東の端になるはずです。
それにしても・・・・
とてもとても寒いです。
10月のパリを甘く見ていました。
他の日は汗をかく位の気温だったのですが、その日のパリは強くて冷たい風がずっと吹いていました。
朝から歩き通しの私の体力を奪っていきます。
ルートの半ばと言った所で、私の体力は底をつきかけていました。
ちょっとリタイアを考え始めた所でいったん区切りとさせて頂きます。
一日無駄にするつもりで始めたお散歩ですが、予想以上に見ごたえがありました。
パリ観光のひとつのプランとしてお勧めですよ^^
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