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王都パリをその足で感じる日。パリ城壁巡り2~続・ジャンヌを巡る旅6日目・5~

私の、ジャンヌ・ダルクを巡る一日も最後の時間が差し迫ってきました。
突風が吹き、容赦無く私の体力が奪われていきます。
まだまだ暖かいだろうと甘くみていた私が愚かでした。

これは全部歩くのは難しいかな?と思い出した頃に新しい建造物が見えてきました。地図上の位置はこの辺りです。
2018パリルート5

ここは城壁の北東の隅にあたる場所で、レピュブリック広場という場所です。
別名、というべきか別訳で「共和国広場」と訳されることもあります。
ここの中央には大きな女性の像が建っています。
レピュブリック広場

この女性はマリアンヌという自由の女神です。
フランス共和国の擬人化した象徴であり、共和制、自由の象徴としてフランス国民に親しまれています。
名前は知らなくても、この絵画をご存知の方も多いのではないでしょうか?
この女性もマリアンヌです。

Eugène Delacroix - La liberté guidant le peuple.jpg
この女性は何故か日本の人は「ジャンヌ・ダルク」と間違える人が多いようです。
多分旗を持って先頭に立っているからだと思うのですが、これはフランス革命時の絵画です。
ジャンヌ・ダルクはフランス王を守る側で、この女性は王政を倒す側ですから全く逆とも言えると思います。

その広場からどんどんと南下していきます。
この道沿いも城壁だったはずでした。
2018パリルート6

予想以上に大きく、歩く足も重たくなってきました。
流石は王都です。
こんな巨大な都市を攻撃するにあたって、シャルル7世は一日しか戦闘の時間をジャンヌに許しませんでした。
やはり最初からパリを落とすつもりは無かったのでしょうね。

そしてここにあるのが有名なバスティーユ監獄があった場所、現在のバスティーユ広場です。
バスティーユ
15世紀頃、ここは南北に走る城壁が走っていて東の城門を守るバスティーユ城塞がありました。
後に城壁が撤去される際に、そのバスティーユ城塞は牢獄へと転用されたようです。
そこに重大な政治犯が投獄されるようになり、1789年にこの監獄が襲撃されフランス革命の引き金になりました。
革命後、1806年に牢獄は解体されて写真の記念碑が建つバスティーユ広場となっています。

ここで少し方角を間違えてしまいました。
流石パリの街です。道を間違っても何やら古そうな建造物が目に入ります。
2018パリlafontaine trogneux
最初見た時にはこれが何なのかよく解らなかったのですが、後から調べて解りました。
これはフォンテーヌ・ド・シャロンヌという噴水です。
一番下のライオンの部分から水か出ます。
18世紀に建てられた後一度破損して、かのナポレオンの指示で再建されたそうです。
これだけ大きな都市だと水事情も複雑なのでしょうね。

間違いに気づいた後、元のルートに戻って城壁を辿り続けます。
今度はバスティーユ広場から西に向かっていきます。
この後セーヌ川沿いに西に向かえば最初のエリアに戻ってくるはずです。
2018パリ寒い日
写真は少し寄り道したヴォージュ広場です。
1612年に完成した赤レンガ作りで囲まれた広場です。
革命前には「王の広場」と呼ばれて貴族達の社交の場となったとか。
今はこの広場の周りの回廊に沢山の骨董品、美術品、雑貨やレストランが並んでいました。
暖かい日であればもう少し寄ってみたい場所です。

広場を出て西に歩くとやがてセーヌ川に出ました。
2018パリルート8
この辺りがセーヌ川に面した城壁の南端部になります。
残念ながら写真がちゃんと撮れていませんでした
この辺りになると寒さと疲れで私も色々と弱ってしまっていたようです。
代わりに便利なグーグルマップから持ってきました・・・
2018パリル-ト7
この右側の石壁辺りが城壁のあった所です。
そんな記録は見つかりませんでしたが、もしかしたら石材等、一部転用されているかもしれません。
・・・全く使わないという理由もないと思うんですよね。如何でしょう?

ここの城壁は内側にもう一層あります。
いわゆる、城壁の中の城壁です。
実はその城壁、「フィリップ・オーギュストの城壁」という名前なのですが、今も一部現存しています。
残念ながらそこに辿り着いたころには辺りは真っ暗になっていました。
なので先程同様グーグルマップの写真です。
2018パリ城壁の一部
今は高校の一部となっているようです。
高校に通いながら、こんな貴重な歴史遺産に毎日触れ合えるなんて羨ましい高校生活です。

こうして、現存する当時の城壁を見届けた後、セーヌ川沿いに歩く事で私は最初の地点に辿り着きました。
1118.jpg
これでセーヌ川以北の城壁のあった場所をを一巡りした事になります。

きっと、ジャンヌもここにあった城壁をじっと眺めて、どうしたら中に入れるか思案していた事でしょう。
私は、その約600年後の同じ場所に立っているのです。
こうして歩いてみると、前回も書き記したように王都パリの巨大さがよく解ります。
この規模の城塞を1日で陥落させるのはやる前から不可能だと解っていたはずです。
シャルル7世は王都パリを武力で陥落させるつもりは無かったのでしょう。
ブルゴーニュ派との和解をすることでフランスを急速にひとつにまとめ、国家として統一したい狙いがあったのだと思います。
で、あれば何故そもそも戦ったのか?
やはり武力で奪還したい派閥(ジャンヌを含む)がいて、その一派にも何らかの譲歩をする必要があったのでしょうか。
このあたりの温度差が後の悲劇に繋がった可能性は大いにありますね。

さて、実は城壁はセーヌ川を挟んで南側もあります。
一応南部分も回ったのですが、時間と体力と相談して自転車を借りて回りました。
パリにはこういったレンタル自転車が街のあちこちにあって、旅行者でもそれを借りて街を散策する事が出来ます。
2018パリレンタル自転車
でも、慣れていないと案外怖いのですが、気軽にスピードアップできるのは大変便利です。

他にもルートを外れて見た物が沢山あります。
以下にちょっとご紹介いたします。

歩き疲れ、寒さに凍えた私が避難したカフェで飲んだホットワインです。
甘くて体がとても暖まり、元気が出ました。
Vin Chaud(ヴァン・ショー)と言う名前なのだそうです。
2018パリホットワイン

街で見かけたパリで開催される日本の風呂敷の展示会ポスターのようです。
風呂敷の展示会ポスター
異国で紹介されているのを見るとなんだか嬉しいですね。
どんな展示会だったのでしょうか?

最後にご紹介しますのは、皆さんご存知のこの5人組です^^
2018セーラームーンパリ
見かけた時は、とてもびっくりしました。
しかもライブが開催されるなんて。
私の好きな国が、私の国の文化を好きでいてくれる事が嬉しくてたまりません。

歴史を追いかけた旅でしたが、最後にパリを自分の足で追いかけた事で歴史とは違う魅力にも気づくことが出来ました。


<<まとめページにもどります。>>


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2 Comments

銀  

写真から雰囲気が伝わってきます。
私はパリは訪れたことがあるのですが、神島さんのようにきちんとした知識を持っていたわけではないので、こんな風に旅ができたらいいな、と思いました。

2021/12/25 (Sat) 23:54 | REPLY |   

神島  

銀さんいらっしやいませ

私も実はあまり詳しくなくて、帰ってきてから「あれはなんだったんだろう?」と調べた物が殆どです^^
それでも、古い物に触れているというだけでなんとなく嬉しくなってきます。
またいつか心配なく旅行できるようになると良いですね。

2022/01/02 (Sun) 13:24 | REPLY |   

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